マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

作家の「賞味期限」

 作家には、

 ――賞味期限

 というのが、ほぼ確実にあると思っています。
 もちろん、その期限は、人によって、長かったり短かったりするでしょう。
 一概にはいえません。
 が、たしかに「賞味期限」はある――

 いま「人によって」と述べましたが――
 この「人」は、作家を指すのではありません。

 もちろん、作家側の要因で決まる「賞味期限」というのも、ないとはいいません。
 例えば、作家が、自身の活動に疲弊し、書く作品の質が落ちるなどすれば、「賞味期限」は切れるでしょう。

 が――
 作家の「賞味期限」の多くは、実は、読者側の要因で決まっているのではないかと、思うのです。

 つまり――
 仮に、作家が、いつまでも質の高い作品を書き続けたとしても、読者が、それを、いつまでも享受できるわけではない――享受できる年月は限られている――
 その年月を指して「賞味期限」と呼びたいのです。

 享受できる年月が限られるのは、いわゆる読者の飽きの問題以外にも、読者の趣味や主義、信条、生活環境などの変化が大きいと考えられます。
 人は、年月を経るうちに、ゆるやかではあるけれども、ほぼ確実に変わっていきます。
 少なくとも歳はとっていく――

 だから――
 作家が同じような傑作を次々と夜に送り出し続けたとしても、いつかは、それを楽しめなくなる日がきてしまう――

 実際には、作家も変わっていきますよね。
 作家だって人ですから――

 読者も変わり、作家も変わる――
 だから、作家に「賞味期限」があるのは当然です。

 むしろ、ないほうがおかしい――

 平面に無造作な曲線群を描き付けるときに――
 特定の2本が、いつまでも寄り添って描かれることがありえないのと同じです。