日本では、科学書や科学雑誌が、なかなか売上を伸ばしません。
日本人の日常文化に、科学が根付いていないようです。
ところが、欧米では、科学書や科学雑誌に一定の売上が見込まれるそうです。
進化論を拒む教師らが一定の発言力を維持するアメリカでさえ、科学書や科学雑誌の売上は高値で安定しているそうです。
欧米で堅実に売れているものが、なぜ日本では売れないのか。
――アメリカでは、嫌・進化論的な思想が強固だからこそ、かえって科学書や科学雑誌が売れるのだ。
という説明が成り立ちます。
科学を厭う人たちが相当数いれば、その反作用として、科学を好む人たちも結束し、こぞって科学書や科学雑誌の購買層になる、という話です。
日本では、科学を厭う人は少なく、むしろ全般的に好意的に受け止められています。
「これは科学的である」とか「そんなの、非科学的だ!」とかいった言い回しが、過剰な権威を備えてすらいます。
そうした状況では、科学好きが結束するのは、ちょっと期待薄でしょう、結束の必要性に乏しいわけですから――
もう1つ、理由があると思っております。
それは、言葉の問題です。
日本の子供たちは、学校では科学を習いません。
理科を習います。
この「理科」という言葉が、科学を縁遠いものに感じさせる遠因ではないかと思っております。
「理科」だけではありません。
理科にまつわる様々な言葉――例えば、学問領域を表す言葉――が、日本語の場合、どうも硬すぎるのです。
「生物学」「化学」「物理学」――
一方、英語の「biology」「chemistry」「physics」――
これらは、いずれも小学校の授業で見聞きする言葉だといいます。
小学校の科学(science)の授業です。
僕は大学院時代は生理学を専攻していました。
生理学とは、動物や植物の体の仕組みを解き明かす学問です。
英語では「physiology」といいます。
日本では、かなりマイナーな学問です。
「生理学」という言葉を知っている子供など、ほとんどいないでしょう。
大人だって、知っている人が、どれほどいることか。
が――
アメリカでは、違うそうです。
「physiology」は子供でも知っている――知らなくても、何となく意味はわかる――
そんなに科学に興味があるわけではない大人でも、とりあえず知っている――知らなくても、何となく意味はわかる――
これは大きな要因と思います。
「生理学」ときいてピンとこない人々で大半を占める社会と――
「physiology」ときいてピンとはこないまでも、何となく意味はわかる人々で大半を占める社会と――
どちらが、科学書や科学雑誌を売りやすいかは、明白です。
どちらが、科学を根付かせやすいのかも、同様です。