昨日の『道草日記』で、
――物語を紡ごうとする人と紡ごうとしない人との隔たりは深い。
と述べましたが――
その隔たりの由来は、
――よくわからない。
とも述べました。
あれから色々と考えてみて――
もしかしたら、妄想のドぎつさとそれへの不安とが大きな影響を与えているのではないかと思うようになりました。
「妄想」というのは、ここでは突拍子もない考えのことです。
ちょっと人々を困惑させるような不埒な考えです。
例えば――
電車で隣に座っている見知らぬ人の頭を叩いたらどうなるだろう、とか――
学校の授業中に先生に向かって上履きを投げつけたらどうなるだろう、とか――
まあ、そういうことです。
あるいは――
インサイダー取引をしたらどうなるだろう、とか――
会社のおカネを使い込んだらどうなるだろう、とか――
そういった不埒な考えのことです。
人によっては、もっと性的な妄想になるでしょうね。
あえて具体例は挙げませんが――(苦笑
そういった妄想を自分の頭の中で散らかしたときに――
その散らかった様子をみて、ものすごく不安になる人たちがいるのです。
――ああ、自分はなんてヒドいことを考えてしまったんだ!
と――
――自分は、とんでもない人間に違いない!
と――
そうやって自分を責め、あるいは自分を疑っているうちに、
――いやいや、そうじゃない。自分は単に物語を紡いだだけなのだ。
と、自己肯定を始める――
自分の頭の中に散らかった妄想の類いに何らかの秩序を与えて、形にする――
その結果が物語であり――そういった頭の中の後片付けを繰り返しているうちに――
今度は最初から意識的に物語を紡ぐようになる――
つまり――
物語を紡ごうとする人とというのは――
頭の中に散らかった妄想の類いを何とか片付けようとしているのではないか――
ということです。
では、物語を紡ごうとしない人たちというのは――
いったい、どうしているのか。
たぶん、2種類に分かれます。
1つは、妄想を2度と散らかさないように気をつける――
もう1つは、散らかった妄想を気にしないようにし続ける――
たぶん前者が多数派なのだろうと思います。
いや――
もしかしたら、後者かな――