言語を操る力と文芸を楽しむ力とは全くの別物だと考えています。
言語を操る力というのは――
例えば、日本語を正確に話したり、書いたり、聞いたり、読んだりする力のことで――
文芸を楽しむ力というのは――
例えば、小説を夢中で読んだり、夢中にさせる小説を書いたりする力のことです。
言語を操る力にとっては、心は客体です。
例えば――
自分の心を伝えるために日本語を用い、相手の心を汲み取るために日本語を用いる――
一方――
文芸を楽しむ力にとっては、心は主体です。
例えば――
小説を読むことで自分の心が物語の世界に分け入り、小説を書くことで虚構の心が物語の世界を行き交う――
ときどき、言語を操る力に秀でた人が、文芸を全く楽しめていなかったり――
逆に、文芸を楽しむ力に秀でた人が、言語を巧く操れていなかったりすることがあります。
これは、本来は主体とすべき心を客体にしてしまったり、本来は客体とすべき心を主体にしてしまったりすることに由来する齟齬でしょう。
それは、観客なのに俳優のつもりで振る舞ったり、俳優なのに観客のつもりで見守ったりするに等しい齟齬です。