マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

凡例の1つでいい

 世の中には――
 他人の物語をつむぐ人と自分の物語を生きる人とがいる――
 そう思っています。

「他人の物語をつむぐ」とは、文字通り、他人を主人公に物語を描くことです。

 ふつうの意味での映画や小説は、これに当たります。
 映画や小説の主人公は、通常、監督や作家にとっては他人ですから――

 一方――
「自分の物語を生きる」とは、自分自身を劇的な状況に追いやって生きていくことです。

 例えば、政治家や実業家などは、そうでしょう。
 国会議員になって総理の椅子を目指したいとか、会社を設立して誰もが想像すらしなかった市場を開拓したいとかいうことは、十分に「自分自身を劇的な状況に追いやっている」といってよいでしょう。

 もちろん――
 どちらが優れているとか、素晴らしいとかをいうつもりはありません。

 大まかにいって相異なる2つの傾向がある、ということだけを指摘したいのです。

 僕自身は「自分の物語を生きる」ということには、あまり興味を感じません。

 自分の人生は1つだけで、しかも1回きりです。
 そして、そうした人生が、世の中には人の数だけあります。

 そのような数多(あまた)の人生の1つが僕の人生であり――
 しかも、それは1回きり――

 であるならば――
 僕は他の人の人生のほうが気になります。

 きっと、信じられないくらいに劇的な人生があるでしょう。

 ムリに自分の人生を劇的にしなくてもいい――
 そう感じます。

 自分の人生は凡例の1つでいいと思うのです。