――小説家が小説家を主人公に小説を書くのは禁じ手だ。
という主張をみかけましたが――
たしかに、その通りですね。
禁じ手だと思います。
だって――
読者が感情移入するのに困ってしまう――
読者にとっては――
自分と対極的な存在が小説家ですから――
では――
なぜ小説家は小説家を主人公に小説を書こうとするのか――
それは――
小説の主人公に現実感をもたらしたいと考えるからでしょう。
現実感をもたらすには、現実を良く知っていなければなりません。
小説家が最も良く知っているのは小説家の現実ですから――
それで小説家を主人公に据えることになります。
例えば、政治家を主人公にしても――
容易には現実感をもたらせないのです。
とりわけ、政治の世界をよく知る人たちにとっても有効な現実感をもたらすことは、ほとんど不可能といってよい――
小説書きの多くが経験的に学ぶことでしょう。
よって、「小説家が小説家を主人公に小説を書くのは禁じ手だ」という主張は、
――小説の主人公に現実感をもたらすことは不要である。
という解釈に通じます。
この解釈には一理あります。
――小説に現実は必要か?
という問いかけは、大変に根源的です。
小説とは、そもそも虚構なのであって現実とは相反する要素に満ちています。
その小説に現実の要素を持ち込むことは、かえって小説の小説らしさを薄めることに繋がるのではないか――
小説を書こうとする全ての者たちにとって看過できない問題です。