マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

もし、生きることの意味を問うのであれば

 生きることに意味などはないと思っています。

 にもかかわらず――
 人は、生きることの意味を、つい問うてしまう――

 自然の只中に生きる自分の実態を――
 十分に理解することが難しいからです。

 ですから――
 もし、生きることの意味を問うのであれば――
 人は、自然哲学や自然思想に帰るのがよいのでしょう。

 仏教や道教は、おそらくは、そうした発想に基づいています。

 生きることの意味を問うならば――
 まずは学校の理科を思いだすことです。

 小・中学校の理科の教科書に書かれていることを――
 高等学校の物理、化学、地学、生物のあらましを――

 古来の哲学者や思想家の著作をみてはなりません。

 いえ――
 もちろん、みても構いませんが――
 そこに書かれていることは、生きることの意味を問いかける意義や、その問いかけに伴う困難についてであって――
 その問いの答えではありません。