――何のために生きるのか?
と問われ、
――生きるために――
などと答える人がおりますが――
たしかに、いわんとすることが全く伝わってこないわけではないのですが――
でも――
「生きるために生きる」では意味を成しませんね。
10代の少年や少女から「何のために生きるのか」と問われたら――
言葉の修辞を踊らせたりせずに、きちんと意味の通る表現で答えるべきでしょう。
――何かのために生きているのではない。生きるための目的などは存在しない。
という答えであっても――
それは、少なくとも意味の通った答えではありますから――
かなり誠実な答えだと思います。
とはいえ――
このような答えでは、ちょっと虚無的にすぎるので――(笑
もう少し、希望的に考えてみましょう。
例えば、「何のために生きるのか」の答えが「生きるために生きる」だとして――
その答えが意味するところは何か??
「食べるために食べる」であったら――
どうでしょうか。
これは、
――とくに空腹ではないが、食べようと思って食べる。
ということですね。
なぜ、空腹でもないのに食べるのでしょうか。
たぶん、その食べ物が、おいしそうだからでしょう。
つまり、「食べるために食べる」とは、
――食べていてよかったと思うために食べる。
ということです。
同じ論法で「生きるために生きる」を読み解くと、
――生きていてよかったと思うために生きる。
となります。
さらに、わりやすくいうと、
――楽しんで生きる。
あるいは、
――生きることを楽しんで生きる。
ということです。