マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

死と隣り合わせの世界は遠いか

 漁船が八丈島沖で転覆し、90時間後に3人の乗組員が救出された――とのニュースが伝えられておりますが――
 こういう海難事故のニュースに接すると、
(僕らとはゼンゼン違う世界なんだな)
 ということを思います。

「ゼンゼン違う世界」というのは、

 ――死と隣り合わせの世界

 ということです。

 この漁船には8人が乗り組んでいたそうです。

 そのうちの1人は操舵室にいて、救命ボートに乗り移ったけれども助からなかった、と――
 残りの4人は、助かった3人と一緒に転覆した漁船の居住区に閉じ込められていたけれども、自力で船外に出たのだそうです。

 脱出した4人の行方は今もわかっていないようです。

 出るか残るかが運命を分けたともいえますが――
 もし、7人とも残っていたら、居住区の酸素が不足し、7人とも窒息していたかもしれません。

「出るか残るかが運命を分けた」とすら、いえないのです。
 本当に紙一重の違いでした。

 漁師さんたちは、日頃から、こういう世界に身をおいているのですよね。

 海上で働く人たちは、海上では問答無用で助け合うという慣例があるそうですが――
 たしかに、死と隣り合わせの世界では、そのような慣例が自然と確立するに違いありません。

 けれども――
 死と隣り合わせなのは、海上ばかりではないのですよね。

 例えば――
 僕らが自動車を運転しているときも、ある意味では、死と隣り合わせです。

 普通に暮らしていても、ある夜、自宅の失火で焼け死ぬかもしれない――

 海上との違いは何かといえば――
 死と隣り合わせであることが意識しやすいかどうか、でしょう。

 海上では意識しやすいが、自動車の中や自宅では意識しにくい、というだけのことです。

 だから――
 今回の漁船転覆のニュースをみて「僕らとはゼンゼン違う世界なんだな」と思うことは、ちょっとズレているということになります。

 少なくとも、世の理(ことわり)を正しく捉えた実感ではない、ということです。