芸術家が男女の性の営みを扱うときに――
その作品が全く下品にならないことがあります。
むしろ、清らかで、荘厳で、神々しいことすらある――
凡百の作家が扱うと、よほどのことがない限り、下品になるものですが――(笑
さて――
では、その差は何なのか――
もちろん、男女の性の営みをみる視点の問題です。
あるいは、その視点の射程の問題――男女の性の営みの向こうに、何かをみているのか、いないのか――
男女の性の営みだけをみていたのでは――
どうしても下品になるでしょう。
ところが――
その向こう側に何かをみるときに――
「何か」というのは、例えば、生老病死の掟であったり、社会情勢の動向であったり、この世の理であったり――
そうした「何か」をみようとするときに――
男女の性の営みそれ自体は、白く透けてみえるのです。
それは、人として――あるいは、生物種の1つであるヒトとして――ごく自然な営みだからです。
男女の性の営みが白く透けてみえるとき――
それは、さながら水晶のごとき輝きを放っているでしょう。