マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

文学の落とし穴

 時折――
 文学の落とし穴にハマった文芸評論をみかけます。

 ――かの文豪は、ウン百年も前に、すでに現代人の心の病を描き切っていた!

 といった類いの評論です。

 文学の落とし穴とは――
 以下の事実に起因する誤謬です。

 すなわち――
 文学者が過去の文芸作品を評論するときに、現代人である自分自身の心で分析している、という事実です。

「かの文豪」というのは過去の世界を生きた人ですから、「現代人の心の病」などは知る由もなかった、とみなすのが自然です。

 その「病」について知っているのは、他ならぬ文学者自身なのです。
 その文学者が、「かの文豪」と「現代人の心の病」とを繋ぎ合わせている――そして、「かの文豪」が「ウン百年も前に」あたかも「現代人の心の病」と向き合っていたかのような錯覚してしまう――

 つまり、「かの文豪は、ウン百年も前に、すでに現代人の心の病を描き切っていた!」という主張は、基本的な階層で説得力に欠けるのです。
 その主張を練り出した自分自身の心の存在が、忘れられているからです。

 ――かの文豪が、ウン百年も前に描いたことは、現代人の心の病を言い当てているように思える!

 というのであれば正しい――

 文学者であろうとなかろうと――
 考えているのは自分自身の脳であり、自分自身の心である、ということを忘れたら――
 どんなに独創的な考察であっても、底の浅いものに思えるでしょう。