マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

スポーツの残酷性

 スポーツの醍醐味の一つは――
 勝ち負けが明確になることでしょう。

 この醍醐味は――
 見方を変えれば――
 かなり深刻な欠陥です。

 勝者と敗者との明示的な区別は、いかなる理由があろうとも、人の心には過酷であり――
 とりわけ敗者には、残酷な区別といわねばなりません。

 一方――
 勝者にとっても、勝ち負けが明確になることは、ある意味で残酷です。

 自身の勝ちを強烈に自覚することで――
 驕慢に耽って醜態を晒す危険性があるからです。

 そもそも――
 スポーツを離れて日常生活に戻れば――
 勝ち負けが明確になることなど、ほとんどありません。

 このことも――
 スポーツの残酷性に拍車をかけているといえるでしょう。

 人は、ふつうの日常生活を送っている限り、勝ち負けが明確になる事態に慣れることは、ありえないからです。

 スポーツに本気で打ち込んでいる人と――
 スポーツをただ嗜(たしな)んでいるだけの人とでは――
 その残酷性への意識が異なります。

 スポーツに本気で打ち込んでいる人は――
 その残酷性を、自分自身の心で痛感し――

 スポーツをただ嗜んでいるだけの人は――
 その残酷性を、頭の理解で終わらせます。

 現役選手の経験に乏しいスポーツ評論家が――
 しばしば現役選手らに、

 ――あの人は実際にスポーツをやったことがない。

 と見抜かれるのは――
 そのためです。