スポーツの醍醐味の一つは――
勝ち負けが明確になることでしょう。
この醍醐味は――
見方を変えれば――
かなり深刻な欠陥です。
勝者と敗者との明示的な区別は、いかなる理由があろうとも、人の心には過酷であり――
とりわけ敗者には、残酷な区別といわねばなりません。
一方――
勝者にとっても、勝ち負けが明確になることは、ある意味で残酷です。
自身の勝ちを強烈に自覚することで――
驕慢に耽って醜態を晒す危険性があるからです。
そもそも――
スポーツを離れて日常生活に戻れば――
勝ち負けが明確になることなど、ほとんどありません。
このことも――
スポーツの残酷性に拍車をかけているといえるでしょう。
人は、ふつうの日常生活を送っている限り、勝ち負けが明確になる事態に慣れることは、ありえないからです。
スポーツに本気で打ち込んでいる人と――
スポーツをただ嗜(たしな)んでいるだけの人とでは――
その残酷性への意識が異なります。
スポーツに本気で打ち込んでいる人は――
その残酷性を、自分自身の心で痛感し――
スポーツをただ嗜んでいるだけの人は――
その残酷性を、頭の理解で終わらせます。
現役選手の経験に乏しいスポーツ評論家が――
しばしば現役選手らに、
――あの人は実際にスポーツをやったことがない。
と見抜かれるのは――
そのためです。