マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

長宗我部元親とか浅井長政とか

 長宗我部元親とか浅井長政とか――
 歴史上の人物としては、30年前だったら、「知る人ぞ知る」の域をとうてい抜け出せそうになかった名前が――
 近年、大いに注目を集めているようです。

 おそらくは、日本の戦国時代を基調としたゲーム・ソフトのヒットによることでしょう。

 それはそれで――
 悪いことではないと思うのですが――

 歴史上の人物や出来事に過度の脚色を施すことの気味悪さというものを――
 もう少し考えてみる必要があると思います。

 30年前に、長宗我部元親浅井長政が、今日ほど著名でなかった理由は――
 どちらも、戦国の世を生き抜けなかった敗者だからです。

 今日の価値基準に照らしていうならば、

 ――会社をつぶした経営者

 であったのですね。

 もちろん、敗者の視点で歴史を学ぶことは大切です。
 歴史とは、つねに勝者の視点で記述されやすいものですから、敗者の視点を忘れてしまうと、歴史から学び取れることは一面的です。

 が――
 例えば、昨今の「長宗我部元親ブーム」や「浅井長政ブーム」は、勝者の視点を忘れているばかりか、敗者の視点を殊更に美化しているようなところがあります。

 つねに敗者を反面教師とする意識をなくしてしまえば――
 歴史から誤ったメッセージを読み取ってしまいかねません。

 長宗我部元親浅井長政も、数千数万という人間たちを従えた指導者でした。
 当然、それにふさわしい人間的な魅力を備えていたことでしょう。

 が――
 その魅力だけに目を奪われてはなりません。

 そんな魅力を備えていた彼らが、なぜ戦国の世を生き抜けなかったのか――

 僕らが今の世を雄々しく生き抜くためには――
 つねに醒めた目線を注ぐ必要があるのです。