マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

時代という「場」の中で、いかに個人が振る舞うのか

 時代という「場」の中で、いかに個人が振る舞うのかを考察し、そこに何らかの原理のようなものを見出すことが――
 歴史を学ぶ醍醐味といえましょう。

 いくら時代を学んでも――
 それだけでは、決して歴史の醍醐味は味わえないのですね。

 あくまでも、その時代に属していた個人の言動を学ばなければならない――

 が――
 この「場」の中の個人を考えるときに、ついやってしまいがちなのが、個人の生活史に基づく歴史のイフ(if)です。

 例えば、

 ――もし、あのとき織田信長が本能寺で死ななかったら……。

 というタイプの空想ですね。

 織田信長は個人です。
 戦国末期という時代の「場」の中にいました。

 その「場」の中で起こった変異(奇禍)が本能寺の変です。

 織田信長が配下の部将に殺されるということは――
 戦国末期という時代の中で、いつかは引き起こされる必然の奇禍であったでしょう。

 織田信長は、別に本能寺でなくても、いずれはどこかで殺されていた――
 あるいは、織田信長個人は天寿を全うできたとしても、その次の代が殺されていた――
 あるいは、その次の代や次の次の代が、織田信長政権運営方針を見直していた――ちょうど、豊臣秀吉徳川家康が見直したように――

 織田信長という個人が、戦国末期という時代の「場」の中で、いかに振る舞ったかという考察は――
 決して、織田信長という個人が、戦国末期という時代の「場」を、いかに形成していったかという考察とは重なりません。

 個人があって「場」が生じるのではなくて――
「場」の中に個人があって、皆で思い思いに振る舞っている――
 それが、人の世の実態です。

 もちろん――
 個人の影響力を他の個人と比べて「抜きんでている」と評価するのは問題ありません。

 織田信長は、たしかに他の戦国大名と比べて抜きんでていたでしょう。

 が――
 個人の影響力が「場」の影響力を変化させうると考えるのは、ちょっと行きすぎです。

 織田信長がどのような生活史を送ろうとも、時代の流れは変わらなかったはずです。

「変わる」と考えるのは――
 おそらくはスケールの間違いでしょう。

 磁石で地磁気が変わると考えるに等しいでしょう。