文芸と文学とを――
僕は厳密にわけることにしています。
小説や随筆、詩(詞)は文芸です。
評論(論文、総説)は文学です。
これらを厳密にわけることは不可能であるという主張は、知っております。
実際、そうでしょう。
あらゆる学問には芸術的要素(主観性、固有性など)が混入しえますし――
また、あらゆる芸術には学問的要素(客観性、普遍性など)が混入しえます。
が――
ことは、覚悟の問題です。
学問か芸術かが判然としないものであっても――
それを理解し、評価しようと思うのなら、必ず、どちらかに分類をしていく――
分類をしないうちには、理解も評価も企図しない――
そういう態度を堅持する覚悟があるかどうかの問題です。
ですから――
例えば、ある小説をみて、それを「駄作だ!」などと粗雑に評価する人には、覚悟が不十分であるといってよいでしょう。
覚悟が十分な人は、次のいずれかをとります。
1)「今の自分には、この小説が価値のある作品には思えない」と開陳する。
2)その小説を評論と捉え、そこに含まれる事実誤認や論理欠陥を指摘する。
前者は、小説を文芸とみなし、正統的に評価する態度です。
後者は、小説を文学とみなし、異端的に評価する態度です。
異端であってもよいでしょう。
その自覚があるのなら――
――覚悟の問題
といったのは、そういうことでもあります。