マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

老いが悲哀とみなされる原理

(歳をとったな~)
 と思うとき、

 ――きょうまで、しっかり生きてこられた。

 と感じているか、

 ――もう、こんなにも生きてきてしまった!

 と感じているかで――
 感慨の質は変わってきます。

 ――老いとは悲哀である。

 と思っている人が少なくありませんが――
 実際には、そうではありません。

 老いとは変化です。

 老いは、それと気づかないうちに進行するから悲哀なのであって――
 十分に気づいていれば――まあ、歓喜にはなりえないにしても――悲哀にはなりません。

 単なる変化ととらえることができます。

 長い間、生きていれば――
 体は変化するのです。

 体だけではありません。
 経年変化は万物に及びます。

 が――
 心は変化しません――少なくとも、変化しづらい――

 人の心は――
 とくに生存が脅かされたり、利益が損なわれたり、害悪が及んだりしない限りは――
 無意識に、現状維持を望みます。

 ここに――
 老いが悲哀とみなされる原理があります。

 それは――
 人の心の働きの癖を熟知していれば――
 とらわれずに済む感情です。