マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

問題なのは理科ばなれではない

 ――小学校で理科ばなれが進んでいる!

 といった警句を耳にするときに、いつも思うのですが――
 問題なのは理科ばなれなどではなく、「理科」そのものにあるのではないか、と――

「『理科』そのもの」というのは、

 ――理科

 という呼称のことです。
 この教科名では、児童たちは何を学ぶのか、教師たちは何を学ばせるべきなのかが、伝わってこない――

 いわゆる理科は、自然の理を扱う教科です。
 だったら、教科名は、

 ――自然

 でよいではありませんか。

 だって、社会は「社会」でしょう?

 ……

 ……

 同様に――
 国語は「言葉・文章」――
 算数は「理屈・計算」――で、よいはずです。

 例えば――
「国語教育」という代わりに「言葉教育」「文章教育」――
「算数の力」という代わりに「理屈の力」「計算の力」――です。

「社会」はともかく――
「国語」とか「算数」とか「理科」とかいう教科名が、やたらと記号的なのですよね。

 これら教科名を、何を学ぶのか、何を教えるのかが意識できるような呼称に変えるだけで、少しは教室の雰囲気も違ってくると思います。

 例えば――
 小学校の先生たちが、

 ――は~い、今から理科の授業を始めますよ~!

 といったときに――
 児童たちが、

 ――理科って何?

 と訊いたら――
 先生たちは、きっと立ち往生すると思いますが――

 ――自然って何?

 と訊いたら――
 先生たちは、とりあえず考え込むことができるでしょう――
 質問の意図が、すぐにわかるので――

 ――そんなわけのわからないこといわないで、授業をきいて!

 などと取り返しのつかないことをいってしまわないで、済むわけです。