自分史を書いて自費出版にするのが少しハヤったことがありました。
(何が面白んだろう?)
などと、少し意地悪く思っていたのですが――(笑
きょうになって、ちょっと気がついたことがあります。
自分史を書く面白さについてです。
自分史というのは、基本的には――ごく一部の例外を除いて――他人に読んでもらうのが目的ではないと思っています。
自分で書いて自分で読み返すために書くものです。
では、なぜ自分で読み返すために書くのかといえば――
自分の来し方を客観的に敷衍するためです。
このときに、自分史を多角的にとらえるということが大切になってきます。
自分史を書く面白さも、そこに起因します。
簡単にいえば――
自分史というのは、その気になりさえすれば、何通りにも書けるのですね。
自分史A、自分史B、自分史C……いくらでも書けてしまいます――それだけの筆力があれば――
それら何通りもの自分史を見比べて、
――あ、こういう視点で書くと、こうなるのか。
とか、
――こんな視点で書くと、自分じゃないみたい――
などと感じ入ることができます。
自分史を書くという作業は、自分の体を姿見にうつすようなものです。
ただし、本当の鏡にうつすのではなく、想像上の鏡にうつすのです。
自分の体のことは、自分が最もわかっています。
が、他者にどうみえているかは、わからない――
だから、想像上の鏡を用いるわけです。
想像上の鏡を用いて、勝って知ったる自分の体の隅々をうつしてみようとする――
自分史を書く面白さとは、そうした空想の面白さでしょう。
それゆえに――
むやみに自分史を書くのは、どうかと思います。
自己愛的な嗜好を疑われるでしょう。
中年のオジさんが自分の体を姿見にうつしていたら、気持ち悪いでしょう?
若く美しい娘さんがやるぶんには、微笑ましいのですが――(笑