宝くじ売場の前を通ったら、
――3億円、大当たり! 当売場より――
みたいな看板をみかけ、
(うへ~)
と思ったのですよ。
もちろん、この看板を設置した人は、これをみた人々が、
――よし! 私もここで3億円を当ててやる!
と思うことを期待していたでしょう。
もちろん、その期待通りに買う人も少なくはないでしょうが――
僕は、その看板をみて、なぜか逆に、
(やめとこ……)
と思ったのですね。
確率的な発想で、そう思ったのではありませんよ。
――この売場で大当たりが出たということは、しばらくは出なさそうということだ。
などと考えたのではありません。
(この売場で買って、もしホントに大当たりを引いてしまったら、エラい面倒だ)
と思ってしまったのです。
そりゃ僕だって、おカネはたくさんあったほうがいいと思いますよ。
そのほうが、楽に暮らせるし――
けれども――
そんなおカネを一瞬で手にしてしまったときの自分の心が、ちょっと恐ろしいのです。
3億円も当たってしまったら、たしかに楽には暮らせそうですが――
あまりに楽すぎて、理性や常識を失ってしまうように思います。
例えば、月に1000万円も使ってしまうかもしれない――
100万円でやめておけばいいものを――
月に1000万円も使ってしまえば――
3億円なんて30ヶ月でなくなってしまいます。
30ヶ月といえば、2年半です。
(そのあと、たぶん路頭に迷うだろうな)
と思うのです。
一度、楽に暮らすことを覚えてしまっているから――
ふたたび地道に働き始めるのは大変な苦痛でしょう。
――こんなこと、やってらんねえ!
などと思ってしまうに違いない――
そして、路頭に迷うことを自ら選んでしまう――
まさに本末転倒なわけです(笑
*
よくいわれることですが――
宝くじというのは、当たらないからいいのですよ。
当たりそうで当たらないから、幸せでいられるのです。
本当に当たってしまったら、どっちに転ぶかわからない――
そういう恐ろしさが、宝くじには隠れています。
ですから――
宝くじ売場で、「3億円、大当たり! 当売場より――」なんて看板を出すことは、案外、逆効果かもしれないのですよ。
少なくとも、僕には逆効果でした。
……
……
わかってますよ――
僕がヒネくれすぎているって、おっしゃりたいんでしょう?(笑
……
……
ところで――
「この売場で大当たりが出たということは、しばらくは出なさそうということだ」との確率的な考えは、数学的には正しくありません。
その売場で大当たりが出ていようと出ていまいと、次に大当たりが出る確率は不変です。
そのような概念が数学の確率です。
例えば、サイコロを3回ふって3回とも1の目が出たとします。
4回目も1の目が出る確率は、どれくらいでしょうか?
当然、6分の1です。
4回目にイカサマのサイコロを使わない限りは――