マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

おカネがあることによる不幸せというのも

 おカネがあると――
 自由が広がりますよね。

 色々な物が買えたり、色々な事が体験できたり――
 色々な物を着れて、色々な物を食べれて、色々な所に住める――
 場合によっては、人を惹きつけることも、人を従えることもできる――

 おカネがあれば――
 人は、様々な裁量を手にすることができます。

 逆に――
 おカネがなければ――
 自由は狭まり、つらい思いをするようになる――

 これは、とりもなおさず――
 自由が狭まることによる不幸せでしょう。

 ところで――

 おカネには――
 おカネがないことによる不幸せのほかに――
 おカネがあることによる不幸せというのも、あります。

 おカネがあるのだから、自由は広がっていて――
 一見、幸せにしかならないように思えるのですが――

 そうではないのですね。

 おカネをもってしまったばかりに不幸せになってしまったという事例が――
 人の世には、いくらでもあります。

 宝くじが当たってから散財が始まって、ついに以前の財産まで失ってしまった、とか――
 遺産を相続してから、親族や知人とのトラブルが絶えないようになってしまった、とか――

 これは――
 自由が不必要に広がったことによる不幸せです。

 人は――
 自由が狭まったら、ほぼ確実に不幸せになりますが――
 自由が不必要に広がっても、しばしば不幸せになるのですね。

 どうやら――
 人には、それぞれに適した“自由度”というものがあるようです。

 ここでいう“自由度”とは――
 その人が日頃から欲している自由の程度です。

 人は――
 自分が欲している自由度を下回るおカネしかないと、不幸せになる一方で――
 自分が欲している自由度を上回るおカネがあっても、不幸せになる――

 この自由度は個人によって異なるため――
 自分の自由度から他者の自由度を推し量ることは、大変に危険なことです。

 本当に大金を手にしたら途方にくれてしまうような人に、宝くじの購入を勧めるものではありません。
 資産の活用法を会得していないのが明らかな子に資産を残すような親は、子の一生を狂わせます。