マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“複雑”だから“単純”へ

 賢い人は単純に生きている――
 といわれますが――

(ちょっと違うんじゃないかな)
 と思っています。

 よく考えてみますと――
 幼い子どもは皆、単純に生きています――食べて、寝て、起きて、遊んで、また食べて――
 生きる以外のことには何ら関心をもっていないようです。

 ということは――
 人は皆、一度は単純に生きていたことがある、ということです。

 大人になって――
 色々な欲求を覚え――
 それら欲求の解消の仕方を色々と覚えて――

 目先の欲求の一つひとつを解消していくうちに――
 いつしか、ひどく複雑に生きるようになっている――

“複雑に生きる”とは――
 例えば、人間関係が複雑になったり、金銭収支が複雑になったり――

 そうやって複雑に生きるようになって初めて――
 人は、単純に生きることの心地よさや素晴らしさを、ようやく理解する――

 単に“賢い人は単純に生きている”というのではなくて――

 複雑に生きることの煩わしさや虚しさを強く感じとり、

 ――このままでは生きていくのが耐え難い。

 と考え――
 何らかの行動に移せた人こそが――
 単純に生きているのでしょう。

“複雑”の悪さがわからなければ、“単純”の良さもわからないのです。