マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

言葉は無矛盾性を容易に担保する

 いつも使っている言葉なのに、ヒドい思い違いをしていることがあります。
 世間の意味とは全く違った意味で使っていたりするのです。

(あ――あのとき、ウソをいったな)
 などと――
 あとになって気づくこともあります。

 言葉と言葉の意味との関係は――
 本来、哲学的に厳密に考えるべきことですが――
 もし、簡単にいってしまえば――
 人と名前との関係に似ています。

 太郎くんが「花子さん」で、花子さんが「太郎くん」でも、別に困らない――
 ということです。

 太郎くんが「太郎くん」であるのを知らず、花子さんが「花子さん」であるのを知らなければ――
 とくに混乱することもない――

 太郎くんが三つ編みをし、花子さんが褌(ふんどし)を締めても――
 それで構わない――(笑

 いったん一対一の対応が定まってしまえば――
 それで不都合はなくなります――たとえ、その対応が呆れるほどに間違っていても――

 例えば――
 猫を「犬」とし、犬を「猿」とし、猿を「猫」とすれば――
犬猿の仲」は「猿猫の仲」に変わるだけです(笑

 ――猿は喜んで庭を駆け回り、犬はコタツで丸くなる。

 に変わるだけです(笑

 だって――
 猫が「犬」で、犬が「猿」で、猿が「猫」だから――
 別におかしくはない――

 そこに矛盾は生じていません。

 人が、言葉や言葉の意味で、ときにヒドい思い違いをするのは――
 こうした無矛盾性の担保が、わりと容易だからでしょう。