マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

そろそろ冬季オリンピックが

 そろそろ冬季オリンピックが始まるのですね。
 今回の会場はバンクーバーでしたか。

 実をいえば――
 僕は、オリンピックには、ほとんど関心を持っていません。

 理由は幾つかあります。

 1つは、当初、アマチュアリズムに根差していたはずなのに、昨今では、すっかり商業主義に走ってしまっている、ということです。

 それが最も現実的な対応であることは十分に理解できますが――
 あまりにも現実的であるがゆえに、僕の興味は削がれ、敬意も薄れました。

 が――
 より本質的な理由は別にあります。

 オリンピックが多くの種目から成る複合体のイベントであるということです。
 単一の種目からなる世界大会ではない――

 複合体であるということが、イベントとしての迫力を不足させていると感じます。

 例えば、サッカーの世界大会――ワールド・カップ――よりも物足りない――
 下手をすると、あの問題が山積みの野球の世界大会――ワールド・ベースボール・クラシック――と比べてさえ、迫力が不足しているといって、よいかもしれません。

 迫力不足の原因は、人々の興味が分散してしまうことでしょう。
 競技の行方をみつめる視線が集中しない――
 だから、人々の熱気もまとまらない――

 とはいえ、

 ――オリンピックなんか、やめてしまえ!

 とまでは思いませんね。

 選手の人たちにとっては、オリンピックは、やはり貴重な場であると思うからです。
 とくに、マイナーな種目の人たちは、そうでしょう。

 そのような人たちにとってオリンピックが貴重なのは――
 例えば、自然科学者にとって国際学会が貴重なのと似ています。

 国際学会では、同じ分野に興味のある科学者たちが世界中から集まってきて、情報を交換したり、新たな研究着想を出し合ったり、お互いを励まし合ったりしています。
 これが良い刺激となって、個々の科学者たちの研究が大いに前進します。

 科学者たちは、普段は分断されているのです。

 大学や研究機関では、同じ分野の研究に携わる人々は僅かです。
 研究室や部署が異なれば、全く違う興味のもとに、全く違う研究をしているものなのです。

 そうした科学者たちが、1年に1回、あるいは数年に1回、世界中から集まることは、自然科学の営みを継続し、後進に継承させる上で、とても大切なことです。

 オリンピックについても、同じことがいえるでしょう。