ある老練な科学者が、学際的な主題で論述しているのを読んだのです。
その主題は重くて堅く――
それを真正面から真摯に扱う姿勢には十分に敬意を払えたのですが――
読んでいての第一印象は、もう少し違うものでした。
(なんか青臭いな)
というものだったのです。
老練な科学者が相手ですから、失礼極まりない感想ではあるのですが――
そういうところでウソをついても仕方がないので――(苦笑
正直に明かします。
そうなのです。
老練な科学者の著述であるのに、どこか幼稚な印象を与えている――
その中で展開される論理や知識は、少なからず高度であるにもかかわらず――
これは驚きでした。
まあ――
「幼稚な印象」というのは、少し言い過ぎでしょう。
たまたま、そこで用いられていた論理や知識に、僕が十分に慣れていたので、そう感じただけです。
慣れていなければ、「幼稚」とまでは感じられなかったでしょう。
では――
いったい、どういう著述であれば「幼稚な印象」を避けられたのかといえば――
それは――
そうした論理や知識の合間に、軽い情感のようなものが挟まっていれば良かったのだと感じます。
それも、軽妙洒脱な余談でしか演出できないような情感ですね。
例えば、
――まあ、人っていうのは、互いにどんなに憎しみあったって、しょせん最期は仲良く同じ土に帰っていくんだからね~。
みたいな情感です。
著述に厚みを出そうと思うなら――
おそらく――
正確な論理で必要な知識を伝えるだけでは、不十分なのです。
それらだけでは、成熟の印象を与えることが難しい――
そのことは、どんなに書き手が老練であっても、当てはまることではないでしょうか。