うっかり書きすぎる――
ということが、たまにあります。
小説などで、余計なウソを書きすぎる――
エッセイなどで、ホントのことを書きすぎる――
余計なウソを書きすぎたことで、小説が実話と思われたり――
ホントのことを書きすぎたことで、エッセイが作話と思われたり――
書きすぎは、たいていの場合は、裏目に出ます。
が――
書きすぎの効用というものを強いていうならば――
書いていたときの意気込みや情熱を汲み取ってもらえる可能性がある、という点でしょう。
さらりと如才なく書きとどめた場合は――
仮のその背後に幾重もの推敲が積み重ねられていても――
書き手の思いを十分に伝えることが難しかったりします。
昔――
ある学会のイベントを主催されていた学者さんにお話を伺ったことがあります。
そのイベントは主に大学院生向けのもので、大変な人気でした。
いつも参加希望者数が定員を上回る――
だから、どこかで線引きをしないといけない――
そのときに、その学者さんは自己アピール欄の字数のみを参考にしているそうです。
「それは少しアンフェアでは?」
とお訊ねすると、
「そんなことはないですよ。たくさん書けるということは、それだけ情熱があるということですから――」
とのお返事――
つまり――
何をアピールしているかよりも、どれくらい真剣に参加したがっているかをみておられたわけですね。
大学院生が自己アピール欄に洗練された文章を記したところで――
参加許可は絶対に降りなかったことになります。