マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

作り笑いがわからない

 僕は作り笑いがわからないのです。
 作り笑いとそうでない笑いとの区別が、即座にはできないのですね。

 よく小説の描写などで、

 ――口では笑っているが、目は笑っていない。

 などといいますね。
 僕も、自分の小説の中で使うことはあるのですが――
 あれが、本当のところは、よくわからない――

(口で笑って目で笑わないってどういうことだろう?)
 などと思ってしまいます。

 そのことを友人などに告白すると、

 ――ええ?

 と驚かれます。

 ――それくらい、すぐわかるだろう?

 と――
 かなり怪訝な顔をされるのです。

 ですから、
(僕は、おかしいかもしれない)
 などと真剣に悩みかけたことがありました。

 が――
 きょう、知人が僕の目の前で故意に作り笑いをしてくれて――
 悩みが解消しました。

 その知人の作り笑いは、すぐにわかったのです。

 どうやら――
 これまで、僕は作り笑いをみないようにしていたのですね。

 あるいは――
 作り笑いに気づかないようにしていた――

 というのは――
 きょう、その知人の作り笑いをみていたら、何とも不安な気持ちになりかけたのです。

 ――みてはいけないもの

 と感じたのですね。

 もちろん――
 本当に不安になったのではありませんよ。

 その知人は「これから作り笑いをする」といってからしてくれたので――

 それでも、不安な気持ちになりかけたということは――
 僕は、よほど作り笑いが嫌いなようです。

 そんなリアルな作り笑いができる知人は、スゴいと思います。
 俳優なみの器用さですね。

 だから、

 ――俳優になったら?

 といったこともあるのですが――
 それは、また別の話です(笑