夕方、街中を歩いて帰宅しようと思ったら――
突然の雨に見舞われました。
土砂降りです。
傘を差しても濡れそうなくらい――
とくに急いで帰る必要はなかったので――
しばらくアーケード街の中で雨宿りをしていました。
夕方の帰宅ラッシュ時です。
傘の用意がない人も、定時の列車に乗るには、雨の中を足早に向かわなければなりません。
ですから――
僕の目の前を、たくさんのズブ濡れの人たちが通っていったのですが――
不思議なものですね。
若い人たちがズブ濡れになっているのは、どことなく楽しそうなのに――
お年寄りがズブ濡れになっているのをみるのは、何とも心苦しいのです。
同じズブ濡れなのに――
もちろん――
印象が違ってくるのは、そこに僕の主観的感覚が混じるからです。
若い人たちがズブ濡れになるのは楽しいことだと思っているけれども――
お年寄りがズブ濡れになるのはツラいことだと思っているのでしょう。
では、なぜ、そんなふうに思っているのか。
子供のときに、雨の中でズブ濡れになってハシャギ回った経験があるからか――
大人になって、雨に濡れるのをスゴく不快に感じられるようになったからか――
いずれにせよ、大した理由ではありませんね。
少なくとも精緻な考察を重ねた結果ではない――
主観が混入するとき――
その主観的感覚は単なる思い込みの域を出ていません。
大ざっぱな印象――
何気なく感じられること――
そうした感覚が、自分の目の前で起こっていることの意味付けを決めてしまう――瞬時のうちに――
それは、人の心の危うさといってよいでしょう。