マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「何もすることがない」というのは

 1日遅れで正月気分を味わっています。
 きょうは朝から何も予定がなかったのですね。

 幸せでした。

 ――ああ、きょうは何もすることがない。

 これが、人間に許される最高の贅沢だと思っております。

 なぜならば――
「何もすることがない」ということは、例えば、

 ――腹がへることはない。へっても、すぐに食べることができる。

 ということです。
 あるいは、

 ――着るものがある。なくなっても、すぐに買い足せる。

 あるいは、

 ――住む場所がある。すぐに追い出されることはない。

 ということです。

 つまり、

 ――衣食住

 の全てが足りているから――
「何もすることがない」などといっていられるのです。

 ついでにいえば――
「衣食住」が足りているだけでは不十分で――
 これらに加え、

 ――医

 も足りているかどうかが、見過ごせません。

「医」が足りているということは、

 ――十分に健康である。健康ではなくても十分に手当を受けている。

 ということです。
 逆に、病気や怪我や障害で苦しんでいる人は、「医」を必要としているのです。

 僕は「衣食住」では考えないようにしています。
 つねに「衣食住医」で考えるようにしています。

「何もすることがない」というのは、

 ――衣食住医が足りている。

 ということです。