マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

一見、結果論にみえて実は結果論でない

 ――結果論

 という言葉があります。

 例えば――
 ある問題が起こり、その解決のために対策1と対策2とが想定された場合に――
 対策1を採って失敗した人に向かって、「対策2を採るべきであった」と主張することが、結果論の典型でしょう。

 結果論は不毛です。
 答え(あるいは答えの一部)を知っている者が答えを知らなかった者を一方的に指弾する意義はありません。

 が――
 一見、結果論にみえて実は結果論でないという主張があります。

 先ほどの例に帰れば――
 ある問題が起こり、その解決のために対策1と対策2とが想定された場合に――
 対策1を採って失敗した人に向かって、「対策3を想定するべきであった」と主張することです。

 この主張は、「対策3」が「対策1」や「対策2」より優れていることが自明であるならば――
 決して結果論ではありません。

「対策3」を想定できなかった(あるいは、想定しなかった)責任が厳しく追及されうるでしょう。

 仮に、「対策3」の優位性が自明でなくても――
「対策3」や「対策1」「対策2」の他に、「対策4」「対策5」「対策6」……「対策n」と、他の選択肢が数多く想定されえた場合にも――
 同様に厳しく追及されうるでしょう。