マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

いつまでも健やかでいたい

 ――○○が健康に良い。

 といわれれば――
 気になるのが自然です。

 少なくとも、病気への恐れを多少なりとも感じている人ならば、気にせずにはいられないでしょう。

 ですから、「○○が健康に良い」という文句は、あちこちで見聞きします。
 なかには、大した根拠が説明されておらず、疑似科学・似非医学のレッテルを貼られているものも少なくありません。

 そのような疑似科学・似非医学が社会に及ぼす影響については、いまさら僕が指摘するまでもないでしょう。

 僕が気になるのは――
 この「○○が健康に良い」という文句の背景に潜んだ純粋な希望です。

 それは、ほとんど宗教的といってもよいくらいの純心からわきあがる希望でしょう。

 ――いつまでも健やかでいたい。

 という祈りの言葉ですね。

「○○が健康に良い」といった文句で、大した根拠が説明されていない場合は、「疑似科学だ! 似非医学だ!」と糾弾されます。

 その糾弾は社会に利益をもたらしうるでしょう。

 ですから――
 僕も、ときに糾弾しています。

 が――
 その前に、少し、人々の祈りの言葉に思いを寄せたいものです――「いつまでも健やかでいたい」という言葉に、です。

 僕は、この言葉に一種の荘厳さを感じることがあります。

 それは、例えば――
 日本のお寺の境内の静寂にひたるときの荘厳さではなくて――
 西欧の絢爛な寺院建築を仰ぎ見るときの荘厳さに近いでしょう。

 それは、十分に理知的であり、意識的であり、人工的でもあり、ときに顕示的であるかもしれないのですが――
 人々の本能が精錬され、結晶化し、光り輝いているものだと思うのです。