マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

声だけを頼りに

 ラジオなどで、いつも声だけを聴いている人の顔というのは――
 なぜかリアルに思い浮かべられるものです。

 そして――
 その思い浮かべた顔というのは、たいていは実際のお顔とは、だいぶ違うのですが……。

 10年前に亡くなった父は――
 子供の頃に耳にしていたラジオの女性アナウンサーをすごい美人だと思っていて――
 あとに写真で確認をしたときに、とてもガッカリしたことがあったそうです。

 ――今はTVがあるから、そんなふうにガッカリすることはなくなったな。

 などと笑っていましたが――
 その笑顔は、声だけから顔を想像する喜びを懐かしんでいるようにみえました。

 もちろん――
 それは、不毛な喜びであったでしょう。

 声だけから顔を想像するというのは、原理的に無理な話です。
 人の声と顔とに、そんなに明確な相関があるとは思えません。

 それでも、僕が気になるのは――
 なぜ声だけからリアルに顔を思い浮かべられるのか、ということです。

 あ――
「リアル」というのはウソですね。

 実際のお顔とは違うものを思い浮かべるのですから、「リアル」ではなく「バーチャル」でしょう。

 が――
 とにかく、声だけを頼りに、その人の顔の細部に至るまでを具体的に思い描くことができるというのは――
 かなり不思議な感じがします。

 それだけ、人の声に含まれる手がかりが潤沢である、ということでしょうか。

 たしかに、ちょっとした息遣いからでさえ、その人の表情を視覚的に想像することは、そんなに難しいことではありません。

 まして、毎日、長時間にわたって、その声に慣れ親しでいれば――
 次々と視覚的なイメージが湧き出てくるものでしょう。

 その、

 ――イメージが次々と湧き出てくるという体験

 というのは、なぜか、とても楽しくて心地よいようです――
 仮に、そのイメージが現実を全く反映していなくても――

 いえ――
 きっと、現実を全く反映していないから、楽しくて心地よいのでしょうね。