マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「悲しい恋」とは

 子供の頃、

 ――悲しい恋

 というのは、いわゆる失恋のことだと思っていました。

 が――
 30代も後半になってくると、
(どうも違うぞ)
 と思うようになりました。

 恋が悲しくなるのは――
 恋が愛と相克するときです。

 例えば――
 自分の恋を貫きたいけれども、当の相手を愛するならば、どうしても自分の恋を貫くことはできない――
 貫いたら、相手に嫌われる、あるいは、相手を不幸にするのが明らかである――
 そういうときです。

 一方――
 いわゆる失恋とは、自分の恋が否定されることです。

 自分の恋が当の相手に否定されたら――
 ふつうの場合は、もはや相手を愛そうとはしなくなります。
 あるいは、自然と愛せなくなる――

 ですから――
 恋が愛と相克するときというのは、きわめて稀な事例といえましょう。

 世の中のラブソングには、いわゆる失恋をテーマにしたものが多いのですが――
 残念ながら――
 ふつうの恋で終わっているものがほとんどであるように見受けます。

 ただの失恋を「悲しい恋」に無理に昇華させようと躍起になっている――
 そういう歌詞が目立ちます。

 愛が全く語られていなかったら――
 その失恋は、ふつうの恋であって「悲しい恋」ではありえません。

 そのときに湧き上がるはずの感情は、

 ――悲しい。

 ではなくて――
 例えば、

 ――悔しい。

 とか、

 ――腹立たしい。

 とか、

 ――惨めだ。

 です。

「悲しい恋」とは、きわめて成立しにくいものなのです。