マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ぜいたく

 ぜいたくには正道と邪道とがあって――
 ぜいたくであることを十分に自覚した上で、ぜいたくを積極的に楽しむのが正道――
 ぜいたくであることを十分に自覚しないままに、ぜいたくを受動的にこなすのが邪道――
 そう思っています。

 例えば、レストランに入って――
 メニューにも載っていない高級料理をワクワクしながら注文し、胸を躍らせながら味わうのは正道ですが――
 いつもメニューに載っていない高級料理を習慣的に注文し、当たり前のように食べ尽くしてしまうのは邪道です。

 なぜ、こんなことを僕が考えているのかといえば――
 この国には、戦中の標語、

 ――ぜいたくは敵だ!

 に象徴されるような固定観念が根強いと思うからです。

 この標語が、いみじくも、

 ――ぜいたくは素敵だ!

 と落書されたように――
 ぜいたくは、それだけをとれば、良くも悪くもない概念です。

 毎日、同じことを繰り返すだけの人生よりも、ときには豊穣の恵みを存分に享受する――
 それは古来よりの人類社会の慣習であったはずです。

 ぜいたくが悪になるのは、ぜいたくが常態化される場合です。

 常態化されたぜいたくは、邪道のぜいたく――
 ぜいたく本来の美徳が失われているとみるべきでしょう。