マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

科学の成熟なくして科学技術の発展は

 日本人は、科学(science)と科学技術(technology)とを一緒に考える癖がついています。

 それは、歴史的には、致し方のないことでした。
 明治初頭、日本人は科学を、科学技術の吸収を目的に、学んできた経緯がありますので――

 が――
 科学と科学技術とは厳しく分けて考える必要があります。

 科学の知見が社会に影響を与える場合には、ほぼ必ずといってよいほどに、科学技術の形をとる一方で――
 科学技術の発展は、科学の成熟によってしか保障されえないからです。

 科学の成熟なくして科学技術の発展はありえないのですね。

 にもかかわらず――
 この国では――そして、科学の文化が十分には根ざしていない外国においても――科学技術の悪用を予防する観点から、科学の成熟に抑制をかけようとする動きが、ときどき出てきます。

 もちろん、こうした動きは「根を断てば枝葉も枯れる」の論に立っているはずですが――
 この動きを主導する人たちの多くは、「根を断つ」の危険性を配慮していません。

 なぜ、配慮しないのか――
 おそらく、「根」と「枝葉」とを混同している――あるいは、混同したがっている――からでしょう。

 本来は、「不要な枝葉」だけを切除すれば済む話なのに――
 わざわざ「根」を切断しようとしてしまう――

「根」と「枝葉」とを混同している――あるいは、混同したがっている――人にとっては、

 ――「枝葉」にも要・不要がある。

 の論理が、わかりにくいに違いありません。

 科学と科学技術とは、つねに切り離して議論をすることが肝要です。

 そうでなければ――
 科学の本質にも科学技術の実態にも、十分には迫れないのです。