マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

わかりやすい理解は

 わかりやすく理解するということは――
 わかりにくいところを無視してしまうことに通じかねません。

 例えば、現在の自分を取り巻く状況が、わかりやすく理解できるときに――
 それは、その状況を正しく認識し、分析できているとは限らず――
 単に、その状況を矮小化していたり、誤解・曲解していたりするだけかもしれません。

 わかりやすい理解には、つねに事実誤認の危険性が伴います。

 ですから――
 わかりやすい理解を求めすぎてはいけないのです。

 10代、20代のうちは、それでもいいでしょう。

 が――
 ある程度、歳をとって、思春期の知的高揚体験を十分に満喫した後でなら――
 わかりやすい理解は、むしろ不要です。

 わかりにくいものをわかりにくいままで受容する態度が――
 求められると思うのです。