マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

科学という名の思考の手続きの有効性を

 ――世の中のことを全て科学で解き明かせないのは自明だから、科学は信じられない。

 という考え方があります。

 僕は、この考え方を採りません。

 なるほど――
 たしかに、世の中のことを全て科学(自然科学)で解き明かせないのは自明です。

 例えば、人の心と脳との関連については――
 現代の科学では、ちょっとすぐには解き明かせそうにありません。

 おそらく、僕らが生きている間は無理でしょう。
 人類が種として存続している間でさえ、無理かもしれません。

 が――
 それでも僕は、科学という名の思考の手続きの有効性を信じます。

 ここでいう「科学という名の思考の手続き」とは、

 ――これまでの実験・観察の結果に基づき、新たな仮説を設定し、その仮説の妥当性を検証するために、新たな実験・観察を行う。

 というものです。

 この思考の手続きは――
 もしかすると、今後、数百年のうちに、多少は変化するのかもしれません。

 が――
 変化するにしても、それは、その時代の科学者たちが、科学の歴史や伝統を十分に踏まえた上で、自分たちの信念や良識にしたがって変化させるでしょうから――
 僕は、彼らの信念や良識を信じたいと思うのです。

 この僕の思いは、ほとんど信仰の域に達しているのですが――
 そうであっても、今の僕は、
(何ら問題はない)
 と思っています。