マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

宇宙活劇と自然科学とを本気で繋げるのなら

 ――宇宙活劇(space opera)は目的を考え、手段を選ばず――自然科学は手段を考え、目的を選ばず――

 ということを、3日前の『道草日記』で述べました。

 

 宇宙活劇には、

 ――物語の受け手の心を動かすため――

 という目的があります。

 その目的を達するためには手段を選びません。

 

 物語の紡ぎ手は、

 ――超光速航法は実現可能である。

 という非自然科学的な設定に寄りかかって――

 目的の達成に邁進をします。

 

 一方――

 自然科学には、

 ――実験や観察に基づき、仮説の妥当性を考える。

 という手段があります。

 その手段を用いることこそが大事なのです。

 

 その手段を用いて何を成すかは、そんなに大事ではない――

 

 ……

 

 ……

 

 例えば、

 ――超光速航法は実現可能である。

 という仮説をもうけたとします。

 

 この仮説の妥当性は、あくまで実験や観察に基づき、検証をされるのです。

 

 その結果、

 ――現時点では、検証は不可能である。

 と感じられたら――

 その仮説には、もはや見向きもしません。

 

 実験や観察に基づいて妥当性の検証ができそうな仮説を――

 新たに探し始めるのです。

 

 ……

 

 ……

 

 6月29日の『道草日記』で――

 僕は、

 ――20~30代の頃、宇宙活劇と自然科学とを懸命に繋げようとしていた。

 と述べました。

 

 その結果――

 ――フェルミの逆説(Fermi paradox)

 に対する3つの答え、

 

 1)我々以外の知的生命体は既に地球に到達をしていて、我々に出会っているが、その事実を我々は知らない。

 2)我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。

 3)我々以外の知的生命体は存在をしていないために、我々には出会いようがない。

 

 のうち、2)に強い関心を抱くようになった、と――

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、たぶん間違っていました。

 

 2)の答えは、宇宙活劇と自然科学との折衷案とはいえるかもしれませんが――

 決して、宇宙活劇と自然科学とを繋げてはいません。

 

 本気で繋げるのなら、

 ――超光速航法は実現可能である。

 との仮説の妥当性を、実験や観察に基づき、考えていく必要がありました。