――未開文明保護条約・説
が、
――絵に描いた餅
にならないためには、
――超光速航法は原理的に可能である。
との仮定が必要である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
よって――
例えば、
――未開文明保護条約
のような決め事が取り交わされているような世界――
――宇宙文明圏連合
が普通に存在をしているような世界――
つまり、宇宙活劇(space opera)の世界――
を、虚構の世界として、作り上げるには、
――超光速航法
の設定が不可欠なのです。
むしろ――
そうした宇宙活劇的な架空世界は、
――超光速航法
の設定に、ほぼ 100% 寄りかかっている――
といっても過言ではありません。
よって――
良質の宇宙活劇では、
――超光速航法
の描写に細心の注意が払われています。
少なくとも、
――そうした航法は当然ながら可能なのである。
といったような大雑把な描写はされません。
――人類は、長大な歳月をかけ、超光速航法の技術を独力で手に入れた。その瞬間、そのことを察した他の宇宙文明圏の知的生命体から丁重な訪問を受け、宇宙文明圏連合への参加資格をも手に入れたことを知った。
といったような細かな描写がされるのです。
……
……
1996年にアメリカで制作された宇宙活劇の映画では――
そのような描写が丁寧にされていました。
とても印象に残っています。
その映画は――
このような話題に関心をもっている方々なら絶対にご存じであろう(笑)有名なTVシリーズをもとにした映画なのですが――
1996年当時――
人類が超光速航法を初めて手にしたシーンをみて、
(ああ、ここに本物の宇宙活劇があった)
と感じました。
――宇宙活劇
と、いいますと――
星空を背景に光る剣を振り回すシーンとか幾千幾万もの宇宙船が整然と並んでいるシーンとかを、つい思い浮かべたりするものですが――
宇宙活劇の神髄は――
実は、そうしたシーンには、ないのです。