数学には微分・積分という演算がありますが――
これは、とても巧妙に考案された手続きだと感じます。
僕は、この手続きを高校生の頃に習ったのですが――
習った頃には、その巧妙さに全く気づきませんでした。
気づいたのは、大学に入って、学習塾でアルバイトをするようになってからです。
人に教えるようになって初めて、
(うわ~、なんて巧くできてるんだ)
と感じ入るようになったのです。
具体的に、どこが巧妙なのかは、ちょっと込み入った説明になってしまうので、割愛をいたしますが――
この巧妙さを肌で実感するには、
――そもそも微分・積分とは、どのような演算なのか、どのような手続きなのか。
といったことに深い関心をもたねばなりません。
が――
そうした深い関心をもたなくても、微分・積分の演算は実践できるので――
たぶん日ごろお仕事で微分・積分を用いておられるような方々でも、微分・積分の巧妙さは実感されていない場合があると感じます。
当然のことです。
微分・積分を含め、数学それ自体が道具――観念的な道具――です。
どんなに精巧な道具であっても、その設計の巧妙を実感するのは困難です。
いえ――
むしろ、精巧であればあるほどに、実感できなくなるのです。
コンピュータやインターネットが好例です。