20代であろうと60代であろうと、
――社会に出るなら手に職を持て。
とか、
――技術を持ってるやつが、強い。
とかといわれます。
反対に、
――企業の経営手腕や官庁の統率能力は、本当の技術ではない。
とか、
――「管理職」の「職」は「手に職を持て」の「職」ではない。
とかともいわれます。
つまり――
「職」とか「技術」とかいうものは、最終的には、個人の資質に属する技能であって――
組織の機能に多少なりとも依存している技能は、本当の意味での「職」や「技術」には該当しない――
ということです。
が――
組織の機能に依存していようといまいと、組織を操るのに適した才覚というのは、紛れもなく存在します。
そして――
その才覚は、知識や理解によって磨かれ、体験や経験によって鍛えられます。
そのことは、ほぼ間違いありません。
よって――
企業の経営手腕や官庁の統率能力も、「職」ないし「技術」の一例であることは、容易には否定できません。
とはいいながら――
この才覚は、個人の資質に属してはいても、組織の機能から完全に独立しているわけではないことから――
間違っても、個人の自己主張の題材とはなりえないのですね。
例えば――
大企業の管理職を勤め上げた人が、第二の人生を歩み始めたときに、
――私は部下の管理ができます。
とか、
――会社の収支を調整できます。
とかと自己主張をしてしまったら、ふつう全く相手にされないのですが――
それは、その「部下の管理」や「収支の調整」が「職」や「技術」に該当しないからではなく――
単に、その大企業の管理職を勤め上げた人が、個人の資質と組織の機能とを混同していることに、すぐに気づかれてしまうからです。