マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「美しすぎる○○」という言い回しが

 ――美しすぎる○○

 という言い回しが――
 ひと昔まえから、はやっていますね。

 ――美しすぎる代議士

 とか、

 ――美しすぎるスポーツ選手

 とか、

 ――美しすぎる△△研究家

 とか――
 最近では、

 ――美しすぎるホームレス

 というのまであるそうです。

「~すぎる」というのは、通常、否定的な意味合いを含みます。

 例えば――
「お腹(なか)が空(す)きすぎる」といえば、あまりにも空腹で何も食べられないことを指します。

「居心地がよすぎる」といえば、あまりにも居心地がよいために、かえって居づらくなることを指します。

 ですから――
 例えば、「美しすぎる代議士」といえば――
 その代議士の容姿があまりにも美しいために、かえって美しく感じられない、という意味になりそうなものですが――
 実際には、

 ――代議士にしておくにはもったいないくらいに美しい。

 とか、

 ――モデルやタレントになってほしいくらいに美しい。

 といった意味でいわれています。

 背景にあるのは――
 代議士にせよ、スポーツ選手にせよ、△△研究家にせよ、場合によってはホームレスでさえ、人として美しいに越したことはない、という前提でしょう。

 その前提は願望――いや、ほとんど夢想――といったほうがよいかもしれません。

 あまりにも身もふたもない前提なので――
 これを前面に押し出されると、辟易としてしまいます。

 そろそろ――
 ここらで、「美しすぎる○○」を褒め言葉ではなく非難の言葉として使い始める人が出てくると、面白いことになりそうです。

 例えば、「美しすぎる代議士」という言い回しが、

 ――美貌を顕示するあまり、代議士としての声望が失われつつあるために、以前は美しいと感じられていた容貌さえも、もはや美しいとは感じられなくなった代議士

 という意味で使われ始めたとしたら――

 この言い回しは、かなりスリリングだと思うのですよね。

 そこには――
 代議士としてのあるべき姿勢、あるいは、人としての美しさの基準――
 そういった“物事の本質”へ迫ろうとする意気込みが感じられます。