マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

あえて類型化することで歴史の本質に

 久々に歴史小説を読んで――
 ふと思ったのですが――

 歴史小説の面白さは――
 本来ならば、多種多様であったはずの歴史上の人物の一人ひとりをあえて類型化し――
 それら類型化された諸人物像を、簡略的に描き分けるところにある――
 とはいえないでしょうか。

 歴史小説の物足りなさとして、しばしば人物造形の淡白さが指摘されますが――
 その淡白さは書き手の意図せざるところなのではなく、むしろ意図せらるる結果である――
 と考えるのです。

 歴史とは、簡単にいってしまえば、社会に住まう人間たちの営みの変遷です。
 そこには無数の人間たちがかかわっているにもかかわらず、似たような事象が起きては消え、消えては起きている――

 歴史の本質は、周期性を帯びた類似性だといわれます。

 であるならば――
 歴史を語るときに、そこにかかわる多種多様な人間たちをあえて類型化しようとすることは、自然な成り行きといえましょう。

 各人物像の微細な差異を無視することで、歴史に秘められた類似性が浮かび上がってくる――

 歴史小説の書き手が自身の作品の登場人物たちをあえて類型化することは――
 歴史小説を介して歴史の本質に迫るための、おそらくは有効な手段の一つなのです。