マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

話のわかる人

 ――話のわかる人だ。

 などといいますね。

 主張の内容が明確でわかりやすいとか、相手の言い分をきちんと受容し、理解するとか――
 そういった意味で使われることが多いようです。

 場合によっては、会話を交わしていると心地がよいとか、欲求不満がたまらないとか――

 そういう人を称して「話がわかる人」と、僕らは呼んでいるように思います。

 では――
 その「話がわかる人」になるためには、どうすればよいのか――

「話がわかる人」になるためには、持って生まれた才覚が必要なのか――
 それとも、心がけ次第で誰にでもなれるものなのか――

 僕は、ある意味では「心がけ次第で誰にでもなれる」と思っています。

 が――
 その心がけを実践するには、天賦の才が必要かもしれません。

 では――
 何を心がければよいのか――

 理念と情念とを等しく重視することです。
 どちらかに偏ったりはしない――

 理念だけでもダメ――
 情念だけでもダメ――

 理念を高らかに掲げつつ、情念にも細やかな心配りをする――
 情念に突き動かされても、理念で制御することを忘れない――

 自分の理念と情念とを厳しく分別し、各々の中身を正確に反省し――
 相手の理念は好奇心をもって吸収し、相手の情念は慈悲をもって受容する――

 そういう心がけを――
 日頃から十全に実践できている人が、いわゆる「話のわかる人」なのだと思います。