マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語は半ばバクチ的に

 フィクションが力をもつときというのは――
 そのフィクションが望まれているときだけであろうと思います。

 どんなに素晴らしい物語であっても――
 その物語を語り続けることが、その物語が作り物であることをよくわかっている人たちによって、強く欲されない限り――
 その物語が人の心を動かすことはありません。

 物語は、その物語を欲する人の心だけに作用するのです。

 ただ――
 難しいのは、その物語を欲する人たちの顔が、よくみえないことです。

 その物語をどういう人たちが欲しているのかは、自明でないことが多いのですね。

 場合によっては、欲している当人でさえも、ほとんど自覚していないことがある――

 よって――
 フィクションの力を信じ、何かの物語を語り続けることで世の中に何らかの働きかけをしようと思う者は――
 その物語を欲しているであろう人たちが――あるいは、潜在的に欲しているであろう人たちが――大勢ひしめいているであろう「方角」に向かって、

 ――えいや!

 とばかり、半ばバクチ的に物語を提示する必要があります。

 バクチに負けても気にしない――
 むしろ、勝つことのほうが少ないと割り切っている――
 それくらいの気構えが必要です。

 この「バクチ」を打つ元気や勇気がなくなってしまったら――
 何かの物語を語り続けることは、たぶん無理でしょう。