浮気をしたいかしたくないかは、感情の問題です。
他方、浮気をするかしないかは、意志の問題です。
この2つの問題を混同していると――
浮気の問題の本態が、わからなくなってきます。
よくみられる誤謬は、
――人は、意志さえしっかりしていれば、感情をいくらでもコントロールできる。
という前提です。
感情は、実際には、そんな甘いものではありません。
ひとたび、
――どうしても浮気をしたい!
と強く欲してしまった人に向かって――
いくら、
――浮気はするものではない。
と粘り強く説き続けたとしても――
効果は限定的です。
感情は、しばしば意志を生みだしたり、意志を跳ねつけたりします。
ときには、意志をねじまげたりもする――
人は、「浮気をしたい」と欲するから、「浮気をする」と決めるのであって――
決して、その逆ではありません。
「浮気をしたい!」と欲してしまっている人に思いとどまってもらいたいなら、
――感情の水かけ論
を挑むのが、おそらくは、もっとも効果的です。
浮気の非倫理性や非道徳性を論理的に説くのではなくて――
浮気への嫌悪感――すなわち、「浮気は許せない」という感情――を正面からぶつけることです。
「浮気をしたい」という感情と「浮気は許せない」という感情と――
双方は決して交わることのない平行線です。
それゆえに、「感情の水かけ論」という呼称が適切です。
ただし――
この「感情の水かけ論」には多大なるエネルギーを要します――精神的および肉体的なエネルギーです。
ですから――
よほど気力や体力が充実している時以外には――
あまりお勧めできません。