マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「水に流す」の不自然

 人にとって――
 いちばん身近な、

 ――自然

 は何か――

 ……

 ……

 それは、

 ――自分の感情

 です。

 “自分の感情”が“自然”である――
 ということは――

 自分の感情には、

 ――恣意

 を及ぼすことができない――
 ということです。

 どんなに強く意志をもっていても――
 自分の感情を変えることは容易ではない――たぶん、不可能です。

 好きという感情――

 嫌いという感情――

 嬉しいという感情――

 腹立たしいという感情――

 どれも――
 いったん抱いてしまったら――
 その感情を恣意的に変えることは困難――いえ、たぶん、不可能です。

 とくに負の感情は――
 ちょっとやそっとのことでは、変わらないのです。

 ……

 ……

 よって――

 この国では、古来、

 ――水に流す。

 という慣用句が用いられてきました。

 これは、

 ――それまでの負の感情をなかったことにする。

 という意味です。

 「それまでの負の感情を忘れる」とか、「それまでの負の感情を何かの感情で中和する」とかいった意味ではないのですね。

 すでに抱いてしまっている負の感情を、そのままにして――
 ただ、それを、

 ――なかったことにする。

 と取り決めてしまうこと――
 それが、

 ――水に流す。

 です。

 これは“取り決め”ですから――
 当然ながら、

 ――恣意

 の及ぶ事物です。

 つまりは、

 ――不自然

 です。

 ……

 ……

 まあ――

 不自然ですよね。

 ――水に流す。

 というのは――
 どう考えても不自然です。

 が――

 それは――
 この国で生まれてきた知恵です。

 恣意の及ぼし方の技巧です。