以下は、ある物語の中での話です。
*
40歳くらいの女性が、とても魅力的な男性と出会って楽しくおしゃべりをしているうちに――
その男性が女性の心理を見抜いて、
――今度、食事に行こう。いや、旅行でもいい。
と誘ったときに――
女性は、自分の胸の高鳴るを自覚しながらも、
――あら、そんなこといって、奥さんに怒られない?
と水を向けると、
――僕は独身だよ。
と、その男性――
その瞬間――
女性は嘘を見抜いたけれど、その後もずっと問い詰めることができずに、
(ウソの下手な人ね)
と、ひとりごつ――
*
さて――
このとき――
女性は、男性の嘘の下手なことを、どこまで本気で糾弾しようとしているのでしょうか。
もし、この男性が、ものすごく嘘が上手で――
女性は、まるで嘘を見抜くことができなかった場合に――
女性は、はたして、どんな感情を抱くでしょうか。
おそらく――
あっ気にとられるか激しく憎悪するか――
少なくとも、「ウソの下手な人ね」などと、ひとりごてるような余裕はなくしているはずです。
ですから――
この種の男性の嘘を、女性が見抜くときに――
その女性の「ウソの下手な人ね」の言葉の中には――
そんなに単純ではない情念が渦巻いているに違いないのです。
それを強いて言葉にするならば、
――「独身だ」なんてウソついて、なんてヒドい人。でも、すぐにバレるウソしかつけないなんて、なんて可愛らしい人。
とでもなりましょうか。
それは――
嫌悪感と優越感とで包まれた憐憫(れんびん)の情です。
誰に向けての憐憫か?
嘘の下手な男性に、ではありませんよ。
女性自身に、です。
このように、思わず自分自身に憐憫の情を向けてしまうような女性は――
物語の中では、意外に根強い人気があるようなのですよね――とくに30代ないし40代以降の年代には――
性別を問わず、物語の受け手に、思いのほか強く訴えかけるのです。
もちろん――
そうした訴えかけの方向性は、受け手の性別によって、決定的に違ってくるでしょう。
たぶん――
男女で真逆でしょうね。
どんなふうに真逆かまでは、あえて申しませんが……。