マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「やりたい」が勘違いである可能性は?

 ある作家さんが、

 ――「やりたくない」と本気で思っていることをやっているような人を、私は一人も知らない。たとえ、その人が、口では何といっていようとも――その人のやっていることは、ほぼ例外なく、その人のやりたいことなのである。

 と述べているのをみたときに――

(たしかに、そうかも……)
 と――
 そのときは深く感じ入ったものですが――

 今になって、
(いや、待てよ)
 と考え直すようになりました。

(本人は紛れもなく「やりたい」と思っていても、それが勘違いである可能性は否定できないのではないか)
 と――

 本来ならば「やりたくない」と思うべきようなことを――
 虚栄心とか功名心とか私利私欲のために、つい「やりたい」と錯覚してしまうような事例は――
 実は、そんなに珍しくはないように思うのです。

 そういう人は――
「やりたい」と思い込んでいることをやっているときには、気分が落ち込んで――
 それをやっていないときには、気分は落ち込まない――
 という様式の精神反応を示すことでしょう。

 例えば――
 職場では気分が落ち込んで、自宅では気分が落ち込まない、というような人がいれば――
 その人は、本来ならば「やりたくない」と思うべきようなことを仕事にしてしまっている可能性が高い、ということです。