ひたすらにパズルを解き続ける人たちがいますよね。
クロスワードパズルとかジグソーパズルとか虫食い算とか迷路とか――
ひとたび取りかかると――
何時間でも没頭できるのだとか――
僕も――
例えば、高校数学の問題などを何時間でも考え続けることが苦ではありません。
高校時代が終わって、もう20年が経つわけで――
今さら「高校数学」でもないわけですが――(苦笑
それでも、どういうわけか――
無理なく没頭できるのですね。
たぶん、すっかりパズル感覚で取り組んでいるからでしょう。
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いわゆるパズルに取り組むことの良さは、
――“人らしさ”の嫌らしさ
から解放される点にあるといえましょう。
ここでいう「“人らしさ”の嫌らしさ」とは――
例えば、人の感情であったり、自己愛であったり、恣意性であったり――
もちろん――
そういう「嫌らしさ」があって初めて、人は人らしく振る舞えるわけですが――
でも――
ふだん、そういうものに長く向き合い続けていると――
やがて、人は、
――うへ~。うんざりだ~。
とか、
――もう、いやだ!
とかと思うようになる――
そうやって――
人は人を嫌いになっていくのだろうと思います。
そうやって、人が人を嫌いになりそうなときに――
例えば、あえて、ひたすらにパズルを解き続けることによって――
つまり、自分の感情を忘れ、自分の自己愛を摘みとり、自分の恣意性を掻きだすことによって――
つまり、自分の「“人らしさ”の嫌らしさ」を失くす――あるいは弱める――ことによって――
人は、少なからず解放されると思うのです。
何から解放されるのか――
もちろん、「“人らしさ”の嫌らしさ」から解放されるのですが――
それだけではなくて――
たぶん、人への不信、人への怨嗟――
あるいは、人の世への不満、人の世への絶望――
などから解放されるのです。