作家の司馬遼太郎さんは、明治の日本国家を念頭に、
――東大(東京帝国大学)は西欧文明の配電盤であった。
と指摘されていますが――
この比喩は、実に巧みであったと感じます。
実は「配電盤」と似たような言葉に「分電盤」という言葉がありまして――
僕は、その「分電盤」の意味はもちろん、「配電盤」と「分電盤」との違いについても、よく把握しておりませんでした。
配電盤というのは――
例えば、オフィス・ビルとかマンションといった建物において、送電線から高圧の電力を受給し、各テナントや各家庭に電気を配る(配電する)装置であり――
分電盤というのは、配電盤よりも規模が小さくて、各テナントや各家庭の内部でコンセントや照明器具に電気を分ける(分電する)装置なのだそうです。
つまり――
配電場が分電盤に電気を配っているのですね。
司馬さんがおっしゃったのは、あくまでも日本の明治国家のことですが――
僕は、この比喩を各種組織に当てはめたくなります。
いわゆる中間管理職の役割についてです。
中間管理職は、大まかに2つあるような気がします――「配電盤」の役割を負っているものと「分電盤」の役割を負っているものとです。
これら役割を取り違えると大変なことになります。
それは――
現在、中間管理職にある人たちは、もちろんのこと――
その上位や下位にいる人たちにとっても、看過できない差異といえましょう。